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carrellが考える繁盛校の作り方 ③

前回の続きです。
学校の先生が教育のプロであるとすると
僕は先生こそ、
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超専門的な職業 だと考えてます。
しかし今現在、医者などの専門職ほどの専門性を感じ取ることはできません。
要は学校の先生も塾等の講師も、
人の人生にかなりの影響を与える人の一人である
私も勉強を教える身としてまだまだ経験の浅い人間ですが、「教える」という行為の重さは少しはわかっているつもりです。
「教える」という行為の重さを全く理解していない人が原因で

医学界での医療ミスならぬ

教育界での「教育ミス」が起こっているのではないでしょうか??

 自分は高校の勉強は教えられないけど
 中学の勉強くらいなら教えられる
 こんな浅はかな考えだけで、
簡単に冒頭の大学生のように簡単に教師を目指していいものなのでしょうか??
そんな安易な考えで本当に「教える」ことができるのでしょうか??

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安定した職業だからという理由で
学校の先生が選択肢に入ってもいいのでしょうか??まして、塾や家庭教師の講師になる動機なんてもっと曖昧で、さほど高くないハードルを簡単に超えて先生面している指導者も多いのではないでしょうか?
もちろん今回のような一視点からだけでは十分に議論できないほど複雑な問題です。
ですが
教える」という行為が

誰にでも簡単にできる
特に理論等専門的な知識は必要ない
テキストの問題説明さえできればいい
テストの解説ができたらよい

と、とても軽く認識されているのではないか。

「 本来もっとも「頭が良い」人がつとめるべき先生という職業 」
 がとても軽く見られすぎているのも現状だとしたら、繁盛塾を目指す一丁目一番地としてまず、講師面接時にしっかりと人となりを見極め、その資質と力量を持った人材の確保こそ第一義に考えることではないかと思うのです。
繁盛塾= 常勝チーム
と準えると、パフォーマンスの悪い選手はゲームに出ることはできない。
すなわち、塾の講師としてパフォーマンスの悪い講師は、現場に立つことが許されず、また契約自体すべきではなく、塾長は審美眼をもって人材獲得に努めなければならないということです。

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